The Original Works by CHIHARU |
新たな出会い
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新たな出会い 1
オッチャンがパソコンなるものに手を染めてから、ほぼ9年近くになる。いや、実はもっと前になりそうだ。マイクロソフト社のWINDOWS95が発売され、パソコンが一般的に認知され使いやすくなる前から、オッチャンは小さなパソコンで遊んでいたのだ。 |
新たな出会い 2
そのうち、難しい言語を操るのことに直ぐにくたびれてしまい、毎日のようにマージャンソフトと囲碁ソフトで遊んでいた。会社から帰ると、飽きることなく寝るまで弄ばれてしまった。うまく出来たもので、知性豊かな ? オッチャンを単純なゲームに誘い込んだものである。安価な本体の割には、ゲームソフトはかなりしっかりしたものであった。このようにして、初期のパソコン時代は終わった。まことにアホーな時間を空費したものだが、これが遅ればせながら、会社に導入された業務用パソコンでは大いに役にたった。 |
新たな出会い 3
小さな会社にいたから、ヒマ人には様々な仕事が回ってくる。人の良いオッチャンは前社長に騙されて ? 監査役に飛ばされていた。ブツブツと、会社の方針に物申す人間は、何時の世も胡散臭いものであろう。自分から一番遠いところへ置いておくのが無難というものである。 |
新たな出会い 4
始めてのPCはNECのバリュースターであった。秋葉原の電気街をあちこちウロつき、いろいろなメーカーの商品を見たり、カタログを集めて回るのは結構楽しいものである。胸をワクワクさせながら、これから訪れるであろうパソコン生活を心に描いていた。 室長といっても、オッチャンよりも遥かに後輩である。でも、パソコンの知識と技能面では遥か遠くの上司と考えねばならない。ここは敬意を表して、ひたすら教えを乞うしかない。そしたら彼は、「これで充分ですよ」と仰る。 |
新たな出会い 5オッチャンは営業も離れてしまい、海外への出張など訪れることもない。なにせ、社長の監視役(監査役=閑査役)だからなぁ。それゆえ、身軽に動けなかったのは、まことに悔しい。自前のパソコンを使い出してからは、夜中になるといろいろと細工したメール(文章だけだが)を「気楽亭」に発信していた。いっぽう発信に臆病な社員たちは、受信したメールをただ眺めるだけだ。 だが、下関の工場長をしていた後輩(と言っても年齢は同じ)が、オッチャンの発信に対応してくるようになった。一般社員は、両人のメールのやり取りを、ひっそりと見守っている感じだ。そんなことで、気楽亭の亭主は言いたい放題のことをメールで流していた。いわば二人で漫才をやっているようなものであった。 |
新たな出会い 640年近く勤めた会社人生が終わったのは、平成11年の3月である。この日を心待ちしていたオッチャンは早速、長年の趣味であった「日本歩け歩け協会(現:日本ウォーキング協会)」に入会し、毎月おくられてくる情報誌をみては近隣地区のイベントに参加しておった。 そのうち、せっかくの自前のパソコンを使わぬのは勿体無いと、ニフティフォーラムの囲碁サークルに加わることにした。プロバイダといえば、今ほど多くなかったし、会社そのものがニフティで統一されていたから必然的にニフティになった。 メールソフトは会社時代からの継続で、AirCraftという特殊なものを使用していた。 このAirCraftに乗り、登録したニフティのフォーラムを一巡してくるのである。一回りしてくると自然とオフラインになるシステムだった。当時は、当然のことながらダイアルアップ方式だ。 囲碁フォーラムに入り、実際に打ち始めるにはえらく苦労した。インターネットに接続し、ソフトをダウンロードしなければならない。掲示板に入って、「こちら62歳のオッチャンでーす」と発信したら、「こちらも65歳のオッサンでーす」と返事がきた。 |
新たな出会い 7
ウォーキングでは面白いこともあった。大晦日のそれこそ午前零時に東京・王子神社にお参りし、それから都内の10社めぐりをするのだ。王子神社を出ると湯島天神に向かう。♪ゆしま通れぇぇばーおもぉいだーす♪なーんていう粋なところである。つぎは何処だったかなぁ。銭形平次のあれだ。男だった〜ら〜ひとつにか〜け〜る〜♪ ちょいと一休みだ。着飾ったお姉さんがたくさんいる。それに昔の別嬪さんも、たくさんおられるようだ。疲れに効く薬は、やっぱりおなごかな。それともお神酒か。いや甘酒がいいなぁ。一杯100円也。こりゃあ、やっぱりいける。さあ、また出発だ。坂を下りようとしたら、なんと銭形平次親分の碑があった。誰だ、こんなものつくったのは.........。平次生みの親・野村胡堂でも顕彰したのかな。 一緒に歩いてきた麗しき女性が差し入れをくれる。これだから、ウォーキングとて馬鹿にならない役得もあるというものだなぁ。しばし初詣にくる、着飾ったねえちゃんたちを眺めて休憩だ。 |
新たな出会い 8門前仲町から永大橋をわたる。いつもは車でごったがえすところだが、流石に今日は元旦だ。まだ朝も明けていないのだなぁ。へんに静けさの漂う橋をわたりきり、隅田川のほとりの小さな公園に降りて元日の日の出を待つ。 付近が異常に静まりかえる中、じわじわと空に日差しが映え赤みが差してくる。いろいろな雲の形がみえる。日の出というのは、お日様がすっかりお顔を出す前の一瞬がよいもんだなぁ。富士の高嶺からのご来光も見事なものだが、都会のど真ん中でのおてんとう様も悪くはないな。なーんて思う。 オッチャンも感傷的になるもんだ。東の空を見つめていると、近くのビルなども次第にその形をあらわに見えてくる。そんなビルの隙間からのお日様のお出ましだ。どんなとこでも、初日の出とはいいものと感動した。 そうだ!おもいだしたぞ。貧乏人の小せがれが柄にも無く浪人したときだな。親戚の家に居候してこき使われた末に、合格の発表をもらったときだ。思わず涙がこぼれてきたもんだ。号泣したものだったなぁ。あんな感激、いや感動にまた出会いたいもんだ。新たな出会いは、待っていてはこないものだ。よし、これからもがんばるぞ!! 何と90歳のおじいさんが元気いっぱいだ。ここで、オッチャンも少し分け前を貰って最後の品川神社まで、やっとこ辿りついた。最後の5キロがなかなか走破できないものだな。足が棒のようになって、進まないものだ。品川に着いたのは、午前10時。10社めぐりは10時間かかって終わりをつげた。 |
新たな出会い 9都内でのウォーキング大会では、おそらく朝日新聞が主催した「伊能ウォーク」が最後だったようである。それは、一年間にわたる全国縦断「伊能ウォーク」の最終日であった。自宅からはまぁまぁ近いし、川崎から東京・日比谷公園までの10キロ程度なら、楽々歩けるからなぁ。この日、朝日の社旗を先頭に数百人もの人々が参加した。 オッチャンは、てっきり映画で伊能忠敬を演じた加藤剛が参加するものとばかり思っていた。この大会では加藤は名誉隊長だったこともある。だが彼は来なかった。ちょっとまずいのではないか、と思ったよ。せっかく我輩が参加したのになぁ。ところが加藤のオッサンは、最終ゴールの日比谷公園で、我々を迎える役目を演じたというわけである。それで、少し気分も落ち着いたというものだ。 その少し前には日蘭交流400年周年記念ウォークに参加した。ちょうど2000年のことである。1600年の江戸時代前からオランダとの長い付き合いがあったわけだ。そのオランダゆかりの旧跡などを訪ねて歩いた。オランダといえば長崎かと思えば、そうでもないんだなぁ。都内にも数々の名残りがあることを認識したものだ。 歩くことで、日頃は全く気にしない事柄に出会うものだな。電車や車では絶対に巡り合えないものがある。シーボルトの像もあり、杉田玄白先生のお墓もあった。清楚なオランダ大使館も、始めて外から(当たり前だ!)拝謁させてもらった。まさか、と思うことがたくさんあるものなんだ。そして何よりも、一緒に歩いた人々との交流がある。 ちょっと見て、「足が悪いな」と思われる方たちも元気に歩く。決して弱音は言わないな。オッチャンと同年輩のオバチャンとも知り合いになった。飲み屋のオバチャンもいた。その方々にその日写した写真を送ったら、皆さんからご丁寧なお手紙をいただいた。 |
新たな出会い10
都内から神奈川、埼玉近辺のウォーキングを終え、オッチャンは地元・千葉へと戻ってきた。「千葉歩こう会」に所属することになったからだ。日本歩け歩け協会の下部組織である。定期的に案内がくるので、オッチャンは軽いリュックを担いでノコノコと出かけていくのだ。 |
SINSE:2006/03/18(Sat) by.CHIHARU. All rights reserved. MAIL |